昔の大名の力を表す単位として使われる「石(ごく)」。
「加賀百万石」など、一度は聞いたことがあるのではないでしょうか。
百万石って、実際にはどのくらいの力や価値があるのかわかりませんよね。
今回は、
何となく聞いたことがあるけど詳しくは知らない「石(ごく)」について調べてみました。
石(ごく)とは?
「石(ごく)」には2つの意味がありますよ。
です。
戦国〜江戸時代には貨幣も流通していましたが、
長期保存ができるお米も、お金と同じくらいの価値がありました。
当時の石高制では、お米以外にも農産物や海産物も合わせて計算されていましたよ。
「石」は、お米の生産量をはかる単位で最も大きい単位です^^
現在だとお米を炊くときに「合(ごう)」という単位をよく使いますよね。
一石は1000合分を表します!
大人が一食一合(150g)を朝昼晩、毎日食べて1095合です!
一石分のお米があれば、ドラム缶が満杯になってしまいます。
百万石のお米があれば、ドラム缶100個分。
100年間は毎食お米が食べられますね。
また石は、
でもあります。
今でいう「年収」や「会社の規模」を表している感じです。
軍勢規模でいうと、
百万石…約20,000〜25,000人
です。
現在だと、インスタグラムで20,000人のフォロワーを集めるのって大変ですよね。
戦国時代だとフォローするだけではなくて、
命をかけて働いてくれるわけですから、この人数って本当にすごいと思います。
一石はどれくらいの価値?
戦国時代では統一されたお金が流通していなかったので、
一石の価値を正確に知るのは難しいです。
今回は単純に、現代のお米の価格で計算してみますね。
現代の貨幣価値にして、百万石は650万円あまり。
ちなみに、戦国時代では、
米一石=1,000文(もん)とも言われます。
1000文=100,000円です。
当時の庶民の生活相場が、
家賃 8,000〜20,000円
卵 400円
そば 400円
です。
100,000円(米一石)は当時の庶民からしたら大金ですよね^^
石高の多かった大名
ここで歴史の参考までに、戦国時代の石高(こくだか)が多かった大名トップスリーをご紹介します。
いずれも、
1598年(慶長3年)(豊臣政権時)秀吉死亡直後での石高です。
1位 徳川家康(255万石)武蔵(江戸)
家康は家臣をとても大事にしたことでも有名ですよね。
家臣に領土を分け与えていました。
自分自身の直轄領と家臣に与えた領土の石高を合わせて約255万石です。
秀吉の直轄領が約222万石と言われているので、とても多いですよね。
2位 毛利輝元(120,5万石)安芸(広島)
豊臣家五大老の一人ですよね。
「無能」だと思われていたようですが、
毛利家を江戸時代まで盛り立てたことと、
石高の高さを考えると無能だったとは思えないですよね。
3位 上杉景勝(120万石)陸奥(会津)
上杉謙信の養子であり、豊臣家五大老の一人ですね。
笑わなかったことでも有名です。
当時の世の厳しさをよく知っていたからこそ、
多くの石高を得ることができたのかもしれませんね。
まとめ
「加賀百万石」ってすごいと思っていましたが、
トップ3とは比べものにならないですね。
ちなみに
有名な西郷隆盛は、意外にも41石でしたよ笑
戦国〜江戸時代にかけては、
地域によっての経済状況の差が大きかったり、
全体的に変化の激しい時代だったので、
一つの価値観でまとめるには難しいようです。
気になる大名からでも良いので、
それぞれの歴史を掘り下げていくと、
もっと詳しく当時の生活状況や物の価値などがわかってきて面白いですよ。
ぜひ調べてみてくださいね^^
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